タイガーマスク(1/13)
最近、「伊達直人」という名前を使って自動養護施設に物を送ることが一つの社会現象になっています。
私、もう40歳を超えていますが、「伊達直人」と聞いても全くピンと来ませんでした。その漫画を見た記憶がほとんどないし、そうだと聞かされても全くわからない。その程度です。
もちろん、寄付することはいいことなのでしょうし、最初にそれをした人は全くふざけていなかったと思うのですが、こんな状態になってしまうと、どうかなと思います。
世間では諸手を上げて歓迎のようですし、実際にそういうことを私はやっていないので、やっていない人間がとやかく言うのもどうかなと思いますが、何だかちょっとふざけていないかと。
こういうことに日が当たったこと自体を好ましいこととして取り上げる人もいますし、私も実際にそう思いますが、果たしてそれだけでいいのだろうか。
その寄付は役立っているのかどうか、相手の顔を見ないで寄付をしている人はそれでいいのかと、その施設に役立つのは一体なんだろうかと考えた上で寄付した方が、と、いろんなことを思います。
結局は、究極の自己満足ではないのかと。
一方的に送られる善意というのは,災害時の支援物資にも通じるものがあって、実はその処理で困ってしまうといいこともあるのです。
今回の場合は、別に一つの施設に集中しているわけではないので、問題はないのでしょうが、本当に送られる側のことも考えているのかと、ちょっと疑問です。
ですが、最終的にはその寄付を否定することはできません。どんなきっかけであれ、それがその施設に役立つのであれば、その寄付は有効ということになるでしょう。
ただ、私自身を振り返ってみると、募金なども全然していないし、そういう気持ちを持てる人は素敵だなと思ったりもします。
(私の10年日記)
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
帰りの雪道です。

私、もう40歳を超えていますが、「伊達直人」と聞いても全くピンと来ませんでした。その漫画を見た記憶がほとんどないし、そうだと聞かされても全くわからない。その程度です。
もちろん、寄付することはいいことなのでしょうし、最初にそれをした人は全くふざけていなかったと思うのですが、こんな状態になってしまうと、どうかなと思います。
世間では諸手を上げて歓迎のようですし、実際にそういうことを私はやっていないので、やっていない人間がとやかく言うのもどうかなと思いますが、何だかちょっとふざけていないかと。
こういうことに日が当たったこと自体を好ましいこととして取り上げる人もいますし、私も実際にそう思いますが、果たしてそれだけでいいのだろうか。
その寄付は役立っているのかどうか、相手の顔を見ないで寄付をしている人はそれでいいのかと、その施設に役立つのは一体なんだろうかと考えた上で寄付した方が、と、いろんなことを思います。
結局は、究極の自己満足ではないのかと。
一方的に送られる善意というのは,災害時の支援物資にも通じるものがあって、実はその処理で困ってしまうといいこともあるのです。
今回の場合は、別に一つの施設に集中しているわけではないので、問題はないのでしょうが、本当に送られる側のことも考えているのかと、ちょっと疑問です。
ですが、最終的にはその寄付を否定することはできません。どんなきっかけであれ、それがその施設に役立つのであれば、その寄付は有効ということになるでしょう。
ただ、私自身を振り返ってみると、募金なども全然していないし、そういう気持ちを持てる人は素敵だなと思ったりもします。
(私の10年日記)
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
帰りの雪道です。
