東京マラソンに思う(2/28)

 昨日、東京マラソンがあり、いろんなニュースで取り上げられていた。実業団選手ではない選手が日本人選手トップ、しかも2時間8分台で走ったことが大きなニュースになっていた。

 そんなスポーツニュースの後に、走りを楽しむ一般参加者の走りをいろいろと紹介。途中で、東京スカイツリーや浅草寺の雷門の写真を撮るランナーなどの姿が流れていた。

 走ることが取り上げられることはいいのだが、あまり楽しいことばかりがクローズアップされるのには個人的には違和感がある。

 自分にとっては、走ることは苦しいことでしかないからだ。ただ何回もそう思っても、また出たいと思ってしまう。そこが楽しさなんだろうと思う。練習はなかなか自分で進んでというわけにはいかないけれど。

 レクリエーション的な楽しみ方も一つではあると思うが、きちんとある程度練習して、記録を目指す走りに焦点を当てないと、単なる一過性のブームで終わってしまうのではないかと危惧する。

 また、実際に記録を目指して走っている人もかなりいると思うのだ。それぞれがそれぞれの目標を持って取り組めるのがマラソンのいいところ。

 そこがマラソンの楽しいところでないかと思うのだが、そのことにほとんど触れられていないのは残念だ。また、道具も比較的簡単に揃えられるものでもあるし、こだわらなければ、既に持っている靴に、Tシャツ、ジャージでも参加することができる。そこもマラソンの良いところだろう。

 でも、実際のところは記録が狙えるような大会ではないのかもしれないね。スタートしてもスタート地点を過ぎるまですごく時間がかかる大会。もう記録はあきらめて、楽しむことに専念するしかないのかもしれない。記録を狙おうとしても、結局は、スタート時点であきらめざるを得ないのかなあ。

 そういえば、大阪マラソンの申込みをしないといけないんだった。

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動きがなくなってきた(2/27)

 ニュージーランドの地震に関する報道が昨日くらいから一気に減ってきたように思う。新しいニュースが入ってこないからなのだろうが、行方が分からなくなっている状況は何も変わっていないはず。それが現実とはいえ、ニュースとしての価値がなくなってきているのか、目新しさがなくなっているのか。

 過去にもこんな話はいくらでもあっただろうが、同じ県の人がこのような目に遭っているということもあって、今までとは違った思いになる。何とかならないものか。いろんなところで、トップニュースではなくなってきている。状況が変わっていないのになぜ。。。

 とにかく、一刻も早く救出されることを祈っています。

 さて、今日は、午前中から実家の親がテレビを買うのに付き合い、そのまま息子を連れて実家に行った。息子の相手は、自分の母親に主に任せて、こっちはテレビをだらだらと見ていた。と言っても古い方のテレビ。新しいのは、今日は配達されない。

 実家の地デジはこれで3台目だ。こんなに買わなくてもいいんじゃないだろうか、って思うが、もう人の家のことなので、あまり関わらない。言われるがまま。でも、録画機もこれで3台になった。どれだけ、録画する気なのか。いつの間に、こんなにマニアな家になってしまったんだ。

 もっぱら録画するのは、韓流ドラマらしいが。

 そろそろ時間になったので、実家で米をもらって、車で帰宅。その米も実家で作ったものではなくて、親戚でもらってきたもの。精米は近くのコイン精米機でやって、そのうち、10kgくらいをもらういつものパターン。お金を出しているとはいえ、助かってます。

 明日に備えて(と言っても特に何もないが)、早めに眠る。結局、少し仕事の勉強をしたかったのだが、やはり意志の弱さでできなかった。

 情けない。

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バッテリー上がり(2/26)

 先週、大連へ旅行に行っている間に、車のバッテリーが上がってしまったようだ。妻が先週、車に乗ろうとした時に、エンジンがかからなかったらしい。自分でやってみてもだめだったので、結局、JAFを呼んだ。JAFの会員になって、おそらく10年以上になるが、実際に呼ぶのはこれが初めてだ。

 やってきたのは、2人。おそらく、バッテリー上がりは基礎中の基礎なんだと思うが、そのためか、ベテランの人と若手(高校出たてのような感じの人のコンビ。ベテランの人が見守って、若手にやらせるというやり方だった。仕事の引き継ぎはどの世界でもこうやって行われるのだろう。

 作業自体はそんなに時間もかからずに終わったが、バッテリーを交換した方がいいと言われた。今、持ってきたバッテリーに替えることもできると言われたが、言われた値段が高いのか安いのか分からなかったので、車屋に持っていくことにした。

 そんなわけで、その後、車屋に行って、バッテリーを替えてもらう。その場所に行くと、特に名前を控えられるわけでもなく、いきなり携帯電話を渡されて、1時間待ちだと言われる。名前も何も言っていないのに大丈夫かなと少々不安になったが、携帯電話が鳴ってバッテリー交換が終わると、請求書にはしっかりと私の名前が入っていた。車のナンバーだけできちんと登録されているのだ。

 午後は、息子をいつもの水泳教室に連れていき、自分はそれを見ながらの読書。1時間ほどのこの時間は、本を読むにはなかなかいい時間。有意義だった。

 ところで、ニュージーランドの地震は今日になって急に扱いが小さくなったような気がする。行方不明者が見つかっていないところは何も変わっていないのだが。少々寂しい。報道なんてしょせん、こんなものなのか。

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帰国してからひどい下痢になり

帰国してからひどい下痢になり、ようやく平常に戻りました。何がいけなかったんだろう

激しい下痢(2/22)

 朝、起きるとちょっと腹の調子がおかしかった。何となく体もだるい。とはいえ、今日は外せない仕事があって出勤した。

 午前中は仕事にならなかった。1時間に1回はトイレに行っていた。だるくてだるくて仕方なく、目を開けているのも少しつらいくらいだった。

 あまり空腹にもできないので、おにぎり1個だけ食べて、午後の仕事に臨む。ちょっと出かけて、外部の人に明日の会議の説明を。何とかなった。本当に気合いと集中力だけで乗り切った。つらかったが。

 もう一つの説明も無事に終わって、何とか一日を終えることができた。

 一体何に当たったのか。一番考えられるのが牡蠣だが、一昨日の昼食べたにしてはちょっと当たるのが遅くないだろうか。何が悪かったのか分からない。とにかく今日はすぐに寝た。

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この静寂(2/21)

 今日の出発は速い。8時前の便なので、ホテルは6時過ぎには出発。朝食はなく、弁当を作ってもらっていた。サンドイッチとゆで卵だけのような感じ。マミー系の乳酸菌飲料も飲んだ。

 空港ではほとんど時間がなかった。チェックインに時間がかかり、すぐに出発。機内食は来た時と同じものだった。友人は食べなかったが、自分は完食。ずっと慌ただしかった。

 富山に到着して思ったのは、何ともいえない静けさ。向こうにいる間は常に何か喧噪のなかにいたような気がしたのだが、こちらに来ると本当に静かだった。恐ろしいほど。

 予定どおりの到着だったので、一旦家に行き、午後から出勤した。大した仕事はなかったのだが、仕事が降ってくるかもしれない日ではあったので、気合いで乗り切った。

 さすがに体は疲れてだるかった。


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大連2日目(2/20)

 朝食はホテルの最上階のレストランで。来る前に見た口コミでは、かつては、回転式だったが、今は止まっていて、人が通るとやたらと揺れるということで評判の場所だった(笑)。料理はそんなに美味しくはなく、まあ腹を満たせたかなという程度。

 ホテルのレストランから見た大連駅。


 朝食後、朝から二百三高地の舞台、旅順に向かう。今日もワゴン車に乗って。1時間程かかるそうです。ずっと横を鉄道が走る道を走ってひたすら旅順に向かう。勝手なイメージで、途中は相当な田舎になるのではないかとも思っていたが、そのような感じはなかった。韓国の田舎道くらいの感じだろうか。

 大連はいまだに旧正月の雰囲気が残っています。



 日本が残していったという電車を模した電車が走っています。


 おそらく国道なのだろうが(国道という概念があるのかはわからないが)、道もしっかりと舗装されているし、そんなに貧しそうな雰囲気もない。いずれ、旅順から大連まで鉄道がつながることになるそうで、その工事が次々に進められていた。そういえば、大連市内では地下鉄の工事も進められていたが、地上にやたらと大規模な工事が行われているところが何か所もあり、不思議だった。豪華な駅にでもなるのだろうか。きっとそんな気がする。

 旅順の市街地に入るために、東鶏冠山北堡塁へ。帝政ロシアが日本軍の防御の為に建設した堡塁であり、日露戦争の激戦地(by wikipedia)ということである。寒々としたところではあるが、激戦の跡地と言うこともあり、少し生々しい。ロシア人の落書きも結構あった。






 次は、水師営会見所に向かう。市街地に入ると、急にいわゆる中国っぽい風景に変わった。ネオンサインの看板はあまりないが、韓国のちょっとした町にも似ているかもしれない。そして、そのすぐ横に会見所はあった。ここは、1905年日露戦争中の旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結された(これもby wikipedia)場所とのこと。

 こんな建物です。


 ここまでは、真剣に見ていました。


 冷え冷えとした場所で、そこで日本語ガイドの説明をいろいろと聞いていました。最後に、当時の物の説明が始まったが、その説明だけ妙に長かった。ようやく、それが終わったところで、いくら以上出したら、その物を差し上げるという話になり、急にえらく生臭い話になって。金を出すはずもなく、そうですか、という感じで、その場を後にした。横の土産物屋でもそんな話になる。仕組みが分かった気がした(笑)。

 次は、いよいよ有名な二百三高地。自分自身、なぜ有名なのかを大連に来ることになるまで知らなかった。あまりにも激しい戦いのために、標高も低くなったのだとか。駐車場から10分程歩いて到達した場所から標的の湾まではかなり遠いという印象。日本人の観光客も何人か来ていた。





 その後、湾を見渡せる塔がある場所を見てから、お昼の会場へ。



 その後、昼食会場に向かう途中、通りがかり(でもなかったのだろうが)、街角の市場に寄った。旧大和ホテルという建物を見て、市場で売っているものを見て回った。果物に海産物、野菜など生活に密着したものが多い。いちごを買ってその場で食べた。味は悪くなかった。なかなかだった。



 途中、旅順駅にも。


 昼食は海鮮の店に。システムとして、料理名の表示の後ろに材料が入った丼が並べてあって、それを見て注文するというもの。出来上がりがイメージできないので、想像に任せるしかないのだが、なかなか面白いシステムでした。そこでも、なんだかんだといろいろと頼みすぎて、大変なことに。水餃子もうまかったし、牡蠣もうまかった。これでもかというくらいに食べまくりました。

 満腹になり、大連市内へ戻り、市場と百貨店を案内してもらって土産を買い、まだ夕食には早かったので、足つぼマッサージを受けることに。じっくり2時間やってもらいました。疲れもすっきりとはいかないまでも、落ち着きました。

 街歩きの途中で飲んだ豆乳。


 少しお腹をすかせて今度は夕食を食べることに。何だか食べてばかりの気もしないでもない。夜も
とてもにぎわっている店で、海鮮も含めていろいろなメニューがある店。気になった魚の「えい」を頼んでみたところ、中華風の味付けでとても美味しかった。韓国風でなくてよかった。また、最後だからと度数が40度超えの白酒を頼んで飲んでみる。さすがに強烈。ある程度飲んだが、絶対にここで倒れてはだめなのでかなり自粛して飲んだ。結果、倒れることはなし(笑)。

 外に出るとかなり寒くなっていた。せっかくなので、何度も見かけていた路面電車で帰ることに。レトロ調の(おそらくあえてそんな感じを出しているように思う)電車で数駅乗ってホテル到着。いい感じでした。これにて、本日終了。

 路面電車の車内から。
 

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大連へ(2/19)

 9時過ぎには、家を出ました。途中、コンビニで、現地ではあまり期待できないお菓子などを購入しています。

 富山空港で一緒に行く友人と合流。自分が参加したツアーには、自分たち以外には参加者はいないよう。集合場所に行ったはいいが、旅行会社の担当者よりも先に着いてしまっていました。

 旅行会社の担当者は集合時間の5分くらい前に到着。結構、お気楽な会社です。まあ、地元の会社だからこんなものなのかもしれません。

 旅行会社とのやりとりはすぐに終わり、特にすることもないので、チェックインへ。手荷物に整髪料のムースを入れていましたが、それは飛行機に持ち込めないとのこと。鞄に入れて預ければいいが、空港で待たされるのも嫌だったし、小さなムースの缶だったので、そこで捨てることに。

 手荷物検査は厳しかった。ポケットの中の荷物も出したが、それでも鳴った。靴の金具がいけなかった。整髪用のスプレーを持って来てしまい、それは結局捨てた。飛行機は不便が多い。
 
 機内食は、ご飯の横に牛肉と豆の炒め物。特別うまいものでもなかったが、全部食べました。せっかくなので、ビールも飲んで。銘柄は忘れました。中国人の客室乗務員とのコミュニケーションはあまりうまくいかなかったが、横の留学生の中国人に助けてもらいました。朝陽から石川県に留学に来ているんだとか。

 大連に到着して出迎えを探しますが、自分の名前がない。が、しばらく探して、大体の人がツアー名の紙を持っていることに気付きました。ツアー名も定かではなかったが、同行者があれじゃないかと言ってくれたのでそれで無事合流。

 ワゴン車でホテルまで向かいます。道は広い。住まいもマンションがたくさん並んでいて、かなり都会だ。途中にIKEAを見つけた。大連にはIKEAもあるのか。日本でも東京くらいしかないはずなのに。大都会だ。富山とは大違い。また、一番恐れていた寒さもそんなでもない。日本とそう変わらない。

 わかりにくいですが、IKEAです。


 現地滞在の友人とは大連駅前のホテルで合流。そこから近くの勝利広場を目指す。広場とは言っても広い地下街で、入口にかかっている分厚いのれんが印象的だ。寒さを防ぐためなのだろう。韓国だと回転扉だが、それ以上の寒さなのだろう。地下街は、若者向けの服やアクセサリーなどいろいろなものがあった。偽物も多い、というかほとんど偽物なのかもしれないが、何を持ってそういうかは定義が難しい。

 分厚いのれん。


 市場の裏通り。汚い。野良猫も。


 串焼きの串が捨てられていて、一つのオブジェのように。


 パイナップルの輪切りをラップで包んで、本物のパイナップルのようにして、売られてました。


 その後、市場を歩き、ジャンクフードを食べてから一旦ホテルに戻る。夕食を食べに、タクシーで走り、高級ホテルのまえから人気の店へ。火鍋の店。鍋は、メニューから材料を選択して注文。こちらはタレやおかずをバイキング形式でとり、食べる。

 高そうなホテルです。ここには泊まっていません。



 鍋はとてもおいしかった。ただ、具にいろいろと頼みすぎて、かなり残してしまった。酒は軽いビールのみ。ビールもかなりアルコール度数が低い。ほとんど水代わりのようなものだった。

 食べ終わった後、ここの給仕をしてくれた若い女性がアンケートを友人に頼んでくる。適当に書いたら、ちゃんと書いてくれと言われて、何度も書き直していた。何が気に入らなかったのか。自分の給料につながることのようで、かなり真剣だった。

 その後、日本人向けのカラオケ店。店の女性は大学生のようだった。日本語はなかなか。ただ、まだ始めたばかりだという。実戦の機会としてこの店を選択するのはどうなんだろう。1時間ほど過ごして本日終了。空気を読んで、歌は歌わず。

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これから

今日から2泊3日で、中国の大連に行ってきます!

久しぶりの晴天(2/16)

 今日は、朝は冷え込んだものの、一日晴れの予報。今年は冬が長かったが、いよいよ春が近づいてきている気配。外を歩くのも気持ちがよかった。建物の隙間から見える立山ががとてもきれいだった。

 とはいえ、あまり書くこともない。朝はなぜか午前3時頃に目が覚めて、そのまま眠れず、1時間ほどポッドキャストを聞いていたが、結局、眠れないやと思い、起きてパソコンに向かってしまった。

 たまっていた日記をポメラで打って、5日分くらい書き上げた。それはよかったのだが、それだけ早起きすると仕事中には睡魔が襲ってくることがしばしば。

 何度も襲ってくる睡魔に、あらゆる手段を駆使して対抗していた。こんな時期に書類を読んで理解する仕事はつらいのだが、今日はたまたまその仕事に当たってしまったものだから仕方がない。

 午後に会議があったので、同じ机に向かう仕事とはいえ、話をできる方がまだまし。さすがにそこはそれで乗り切った。

 だが、その会議後は、今度は明日の会議資料のチェック。ほとんど人任せにしていたので、真剣に見るのは今日が初めてだったが、ちょっと突っ込みどころがあるなあ、という印象。明日の会議は紛糾するんじゃないだろうか、と今から心配になる。

 それを防ぐのが自分の仕事ではあるが、何だか言い訳ばかりになりそうな気がして、ちょっと情けない。こう書いているが、書けば書くほど不安になってきた。

 結局、今日は7時を回って帰宅。少し遅くなったので、息子との風呂は妻がやってくれて、自分は一人でゆったりと。湯船につかりながら、iPod touchでネットを見る。

 気がつけば時間がたっていて、今日はなかったけれど、息子がまだ呼ばないの、と言っているのがたまに聞こえてくる。とはいえ、今日はだらだらと起きていることもなく、終了。


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洗濯機復活(2/15)

 今日の夜は7時には帰宅できたが、まだ洗濯機の修理業者は来ていなかった。妻によれば、夜の7時半頃に来るとのこと。ちょっと遅くないか。さすがに今回はご飯を食べ始めていた。

 予定時間よりは少し早めに業者は来た。先日と同じ担当者だった。早速、修理に取りかかってもらう。前回同様、悪戦苦闘するのかと思いきや、思いの外、修理は早く終了。

 話を聞くと、「私のミスである配線が外れていた」とのこと。具体的にはどうだったのかはわからないが、推測するに、単純ミスだったのではないかと思う。こちらはそのおかげで、ここ数日苦しんでいたんだぞ、とは思ったが、それを直接いうほどでもなく、修理は終了した。

 今度は、問題なく洗濯ができた。ほっとした。

 思えば、いろいろな電化製品がある中で、故障して困るのは、冷蔵庫よりも洗濯機ではないかと思ってしまう。特に今の時期は。

 食べ物なら、とりあえず、日持ちするものもあるし、冬場ならそうそう腐ることも少ないだろう。腐りそうなものはスーパーで買ってきてすぐに食べればいいかもしれない。

 洗濯は別に手ですればいいということも言えるだろうが、一人暮らしならいざ知らず、大量の洗濯物を手で洗う元気はない。洗濯機のありがたみをつくつく感じたこの1週間だった。

 それにしても、今回の故障はセンサー系のものだったと思うのだが、最近の家電は全てそういうもので制御しているから、思わぬ故障が起きることもあるだろうし、さらに言えば、それによって機能の全てが使えなくなるということも多くなっているのではないだろうか。

 と、推測が多いですが、とりあえず今日はほっとしました。

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狙われたセーフティネット(2/14)

 今日のクローズアップ現代でやっていたテーマ。自立のための貸付制度が、悪用されて焦げ付きが多発している、償還の連絡をしても多くが宛先不明で戻ってくるというもの。

 利用の多い大阪での事例だと、会社に勤務した証明書類や住民票など全てが偽造され、それを仲介している悪徳業者がいるという話。裏に危ない組織がからんでいることは間違いない。

 番組では、その貸付制度の制度自体の問題点について言及していた。まずは、貸付にあたってのチェックの甘さ。そして、貸付制度により逆に自立への意欲を阻害しているというもの。

 貸付期間が終われば、生活保護を受けて、そのまま返せる状況ではなくなるという事例があった。就職が決まれば、貸付は受けられなくなるので、それがよけいに就職への意欲を阻害しているという指摘もあった。

 しかも、貸付側でも相手の確認をしていないという事実があり、かつ、それをチェックできる人員体制にもなっていない。あまりに性善説過ぎるという声も。さらには、自立(職を見つける)ということに対するインセンティブが働かない仕組みになっているということ。

 事実として、弱い人間の背後や周囲には、その弱みにつけ込もうとする輩が徘徊する。この魔の手からいかに弱い立場の人たちを保護するのかが、今は何よりも優先されるように思う。

 とりあえず、久しぶりに印象に残る内容だったので、書いてみました。まだまだ、書き残しの日があります。今日はこの辺で。

 そういえば、昔、クローズアップ現代の内容を書いたメルマガがあったなあ。とちょっと遠い目。

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コインランドリー(2/13)

 洗濯機の再故障は、また業者に電話して修理に来てもらうことにはなったのだが、修理にこられるのは火曜日とのこと。仕方がないので、コインランドリーに行くことにした。

 コインランドリーに行くのは、正直、大学生の頃以来になると思うが、ここ数年、富山にはなぜかコインランドリーが増えているように思う。

 それも、昔ながらの小さいものではなく、コンビニ店舗くらいの大きさの結構広いところが多いように思う。理由はわからない。布団も洗える大型のものが多いので、そういう需要があるということだろうか。

 何はともあれ、洗濯物を抱えて、コインランドリーに到着。会員証のようなカードを発行しないと使えない仕組みのところだったが、たまたまオーナーらしき人がいて、自分のカードを貸してくれたので、洗濯料金だけで済ますことができた。

 洗濯の間、買い物をして、また戻る。既に終わっていて、ちょっと脱水が甘いのではないかとも思ったが、それでも何とか洗濯は終わっていた。

 ぐっと重くなった洗濯物を家に持ち帰って、室内に干す。この時期はとにかく洗濯物がなかなか乾かないので、困る。太平洋側は乾燥で困っているようだが、こちらは逆で湿気があって困る。窓は常に結露状態だ。

 私は、小さい頃からそれが当たり前のものとして育ってきたから、結露という言葉を知らなかった。結露が問題になることだという認識がそもそもなかったのだ。だから、その言葉の意味を知ったとき、新しい言葉に触れたという気持ちだったのだが、実は未だにそれが意味する本質をわかっていないように思う。

 さてさて、干されている洗濯物を眺めつつ、火曜日はきちんと直るのか不安を抱えながら、今日は終了。

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洗濯機の故障(2/12)

 今日は3連休の中日ではあるが、基本的には普通の土曜日。昨日のスキーの疲れもあり、午前中はだらだらと。

 午後は、息子のプールにつきあった。もう既にバタフライでもかなり泳げるようになっている。久しぶりに2週連続での見学。ただ、見学場所は相変わらず、暑い。

 さて、一昨日くらいから、洗濯機の調子がおかしい。去年買った東芝のドラム式の洗濯機なのだが、洗濯を始めようとすると必ずエラーコードが出て、止まってしまう。乾燥フィルターのエラーが必ず出る。どう見ても乾燥フィルターに問題はなさそうなのだが。

 ただ、すすぎまでと脱水以降を分ければ、なぜか洗濯はできてしまうので、とりあえずは、それでしのいでいた。

 そして、今日の夜、東芝のメンテナンス会社の人が修理に来てくれた。少し見れば直るのだろうかと思っていたのだが、結構、悪戦苦闘していて、かなり時間がかかった。1時間くらいかかっていただろうか。

 ちょうど夕食時だったのだが、修理している横で食べるのもあれなので、修理が終わるのを待っていて、一応、立ち上がりでエラーが出ないことを確認して、サインし、修理は終わった。

 食事の後、妻が洗濯しようとすると、またすぐにエラーが出た。今度は別のエラーコードだった。しかも、今度のエラーの対処方法は即、メンテナンス会社に連絡せよと書いてあるだけのエラーだった。

 しかも、悪いことに、前のエラーなら、脱水前と後を分けることで何とか洗濯はできたが、今度は全ての動作ができない。これは困った。全く何もできないことになってしまった。

 洗濯物はたまっていく一方で、しかも息子の水泳教室の後ということもあり、よけいに多くなっている。もう、どうしようもないので、明日はコインランドリーに行かざるを得ないようだ。

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久しぶりのスキー(2/11)

 もう、かれこれ3年越しくらいの課題になっていたのだが、家族連れで初めてスキーに行ってきた。自分自身、あまりうまくないし、元々そんなにやっていたわけではないのだが、富山にいれば、いずれ学校で行くことになるので、その時に全く初めてというのはどうだろう、という思いで息子を連れていった。

 初心者向けということで、県内の粟巣野スキー場というところに行くことにした。スキー教室の時間も確認したうえで、出発。さすがにスキー場に近づくにつれて積雪量は増え、ちょっと車で走っていても怖かった。

 駐車場に到着すると、既に駐車場はいっぱいになりそうなくらいに、車が止まっていたが、何とかぎりぎり止めることはできた。道具は全てレンタルして、息子はスキー教室に行かせる。

 うちの息子は、自分に似たのか、ちょっと怖がりのところがあり、スキーを履いても、ちょっと滑っただけで転んでしまう。しかも、一度転ぶと起きあがるのがまた大変という状態だった。

 スキー教室にはほかにも何人かいたのだが、その中でも飛び抜けて滑れないようだったので、もう一人専属のコーチがついて、他の子供たちとは分かれて完全にプライベートレッスン状態になっていた。

 午後は、息子はキッズパークというそりを楽しめる場所でひたすら滑っていた。そりはとても楽しそうだった。飽きずに、2時間ほど滑っていたのではないだろうか。

 ただ、せっかくスキー場に来たので、最後にもう一度スキーをさせてみた。ただ、怖いのか動くことができない。しかも、一緒にやってみてわかったが、一度転ぶと起きあがることができない。

 何とか自力で立ち上がれるように、いろいろと体勢を変えてやるように言ったが、結局だめだった。最後は、何だか息子を突き放すような冷たい言葉も放ってしまい、自己嫌悪に陥ってしまった。

 ただ、頑張ればいつかはできるようになるさ。息子は水泳も最初は全然できなかったけれど、今はそれが嘘のようにできるようになったのだから。

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久しぶりのスキーで疲れました。


チャカ・カーン(2/9)


 私がよく聞いているポッドキャストにTBSラジオのキラキラがある。そこの水曜日でよく昔の洋楽を特集している。私がよく聞いていたいのは、1985~1987年あたりだと思うが、そのラジオでは、その頃に流行った歌手がよく取り上げられている。

 聞き始めの頃は、マイケル・ジャクソンが多かったのだが、その後は、邦楽も含めていろいろあって、この間は、チャカ・カーンだった。

 チャカ・カーン。懐かしい。あの「チャカ、チャカ、チャカ、チャカ、チャカ・カーン!、チャカ・カーン!、チャカ・カーン」で始まる「feel for you」は聞いていて楽しい曲で、それを聞いていたときには、歌っているのが、男か女かもわかっていなかった。どんな人かも分かっていなくて、その1曲しか正直知らないのだが、曲のインパクトは強烈だった。

 確か、ある年のビルボードチャート年間1位で、それを紹介していたラジオ番組で、湯川れいこさんが、「この曲は一昨年の曲じゃなかったっけ?」と言っていたのを今でも覚えている。(翌年早々にその年の年間チャートを紹介していての発言)

 この間、別のテレビでその年代のMVを特集した番組があって録画した。デュラン・デュランにブルース・スプリングスティーンなど。

 懐かしさでちょっと楽しかった。チャカ・カーンについては、音だけを落として、iPodに入れようかと思ったくらいだ。余裕ができたらいつかやってみようと思う。

 それにしても、チャカ・カーンって、ああいうルックスの女性だったのですね。とてもパワフル。ちょっと意外でした。でも、この人、声出ますよねえ。

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大相撲その後など(2/8)

 依然として、相撲の八百長問題は連日ニュースになっている。それにしても最近こういう問題や犯罪についてもそうだが、自分から名乗り出る人が以前に比べて減っていないだろうか。そんな印象を受ける。

 かつては、何か自分に都合が悪いところが出てくればある程度の時点で認める人間がいたように思うのだが、最近は、かなり確実な証拠が出ても、否認している、何とかして罪を逃れようとしている人が多いような気がしてならない。

 私自身が推測で書いているので、事実とはかなり違うというのは承知の上で書いているが、寂しい限りだ。と思う。

 検察の問題などとも関係しているような
気がする。いろんなことを検察の誘導によるものとして、事実までがゆがめられているのではないかと思うことがある。

 さて、話を戻そう。相撲の話である。相撲界の八百長の話ばかりが飛び交って、本来の相撲の話になることが全然ない。相撲は全てが八百長のような話で語られるのも問題だ。

 相撲は大変な技術が必要なものだと思う。廻しをとる技術、とられない技術、巻き変える技術、廻しを切る技術。それに相手の腕を殺す技術、一気に出足を活かす技術などなど。

 相撲の本質というか、見る娯楽としての楽しみ方を紹介するものが少なくなっている。私が相撲を見られる時間帯には仕事をしているということもあるだろう。今のNHKの中継はどうなっているのだろうか。

 また、娯楽が本当に多様化、小規模化しているなかで、相撲という娯楽が、ちょっと時代の波には乗れていないとは思う。もっと、インターネットでもいろいろと見られるようにするとか(しているのかもしれませんが)、ファンが増えるような取り組みをすべきでしょう。今の支持者も高齢化して先細りの状態なのだから。

 私は本当に個人的に、素直に相撲を楽しめる日がまた来てほしいと思うのだが。

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無駄に起きていて(2/7)

 家に帰って風呂に入り、そのまま寝ればよかったのだが、だらだらと無駄に起きていた。睡眠時間を削っても何か特別なことをしていたわけではない。

 今、話題のfacebookとはどんなものかについて、いろいろとネット上で情報を探していた。実名主義という今までのネットの概念を覆す方式。どうも、ハンドルネーム的なものは使えないようだ。

 実名にすることにより、メリットがあるのは、有名人と企業だろう。私のように、単にネット上に駄文を流して、自分自身の確認をしたいという人にとっては、あまり役には立たない。

 たまに批判みたいなものもしたりするが、そういうことを実名でしかできないというのもちょっと困りもの。誹謗中傷の類でなければ匿名も許されてもいいと思うが、それなら使わなければいいだけの話。

 正直、実名でネット上でも動ける人って、いいなと思う。自分の場合はちょっとしがらみというか、気にしすぎなのかもしれないが、いろんなことを気にして、それはできない。

 実名を使うことが特殊な、日本という国が特殊なのか、facebookが特殊なのかは世界の状況をよく知らないからわからない。ただ、よりビジネス的に、より真剣な場で使えるのが、facebookなのだろう。そして、より現実世界に近いのがfacebookでもあると。

 あるところにはこうも書いてあったように思う。

 現実世界で友達がいないのに始めても、続かないと。その言葉を見て、これはやめようという決定打になった(泣)。

 個人的には、日本でどこまで広がるのか、今年の年末には一体どうなっているのか気になるところ。「いいね!」が流行語に選ばれるかどうか。いや、選ばれるならそのまま「facebook」か。

 どうでもいいけど、中国でサービスが始まったら「顔本」とかになるんですかねえ。

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雪もだいぶなくなりました


八百長相撲の件(2/5)

 どうやら、春場所は中止になりそうである。年に一度の大阪場所。そのタイミングでの中止は残念だ。でも、この状況では仕方がないかもしれない。

 でも、無観客でもやるという話もある。本当か?中止なら本当に中止だろう。

 中止の期間中には、大阪で、相撲界挙げて社会貢献活動に取り組んではどうだろうか。だって、大阪の町は相撲がなくなることにより、経済に影響を受けるだろう。

 悪いのは大阪の街ではないのだから、力士は全員、大阪に行って、福祉施設の慰問でもいいし、町の清掃活動だっていい。無料で稽古を公開してもいいじゃないか。

 もう自分が相撲を見始めた頃から、いやもうその前からすでに、八百長の話は相撲と表裏一体の話だった。もう、それも折り込み済みで楽しむというのがある意味、正しい見方のような言い方をする人もいた。

 言うならプロレスのようなものだ。とはいっても、国技であって、財団法人が運営する興業なのである。そこが問題。

 実際に強い力士がいても、八百長ではないかと、そんな見方がされる。裏の世界とのつながりも既に野球賭博の件で明らかになっている。

 正直、もう相撲を支援する理由は全くない。 

 でも、そんなに見てはいないけれども、私は、何としても、財団法人でなくなったとしても、相撲を続けてほしいと思っているので、ぜひ、膿を出しきってほしいと思う。

 そこにも全く理由はない。あるとすれば、ただ、長く続いてきたものがなくなるのがいやなだけ。一度終わったら、もう二度と復活することはないだろうから。また、今、相撲でがんばっている人たちの目標がなくなってしまうだろうから。

 一攫千金なところが魅力でもあるのだが、それが八百長を生み出す土壌でもある。ほかにも、改めるべきところはたくさんあるのだろうが、もう昔のような理屈が通る世の中ではない。古きよき時代はもうとっくに終わってしまっているのだ。

 現代に根付いた相撲を。

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午前も午後も会議(2/4)

 今日は、午前中も午後も会議が予定されている。午前中は、会議とは名ばかりのひたすら説明を行う説明会。自分は説明する側。午後は意見交換会で、どちらかといえば、フリートークに近い。

 とはいえ、どちらとも説明をする側であり、質問を受ける側であり、主催者側である。正直、嫌である。説明がうまいわけでもないし。

 午前中の説明は原稿を作っていったので、さぞかし棒読みに近く、聞いている方は面白くなかっただろうが、淡々と時間をかけて乗り切った。

 大して質問も出ない会議だったはずなのだが、質問がいくつか出て、ちょっと自信のないところもあったが、何となく答えた。困った質問もあったけれど、そこはそれなりに誠意を込めて答えたつもりだ。

 午後の方は、ちょっと難しかった。こちらからの提案に対してその反応を聞くと言うものであったが、どう見ても相手の方が知識が豊富なので、こちらが何も言えないこともあったり、話についていけないこともあったり。

 幸い、主催者側とはいえ、こちらは主催者側の一つで中心の主催者ではなかったので、何とか乗り切ることはできたが、まだまだ勉強不足であることを感じた。

 さて、こんないろいろな会議の場だけれど、いろいろと不満や苦情が飛び交う会議であることを嫌がる人は多いのだが、質問もなく、何となく終わってしまう会議に比べれば、とても有意義なものではないかと思う。特に自分のように現場をよく知らないものにとっては。

 多少、口の悪い部分はあるにせよ、それが本音であるし、それが現場の声なのだ。と自分に言い聞かせるようにはしている(課題は残るけどね)。

 質問のない会議が割と日本の職場だと多いかもしれないが、自分が説明する側だとして、それが相手に響いているかどうかはわからない。質問が出た方がいいに決まっている。

 これは、学校時代からそう。確かに自分も学生時代は全然質問なんかできなかったけれど(眠ってばかりだったし)、最近はできるだけ質問するように、少なくとも質問を考えるようにはしようと思っている。

 でも、質問して逆に恥をかくことも度々だ。不勉強がありあり、ということ。でも、質問することを評価するような世の中にしていかないと、日本はだめになるばかり。。。かな、とちょっとえらそうに思ってはいる。

 これって、家庭にも言えることなんだな、多分。家庭で会話がないのは、家庭に興味を持っていないとか、考えていないからなのか。

 それはいけない。。。

 また、一度聞いたことを質問して、恥をかくことも度々。。。

 反省、、、、と。

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恵方巻き(2/3)

 朝、通勤途中に昼飯を買いにコンビニに寄る。いつもおにぎりを買っているのだが、今日は恵方巻きが大きく売り出されていた。そういえば、今日は節分、恵方巻きを食べる日。

 本当にここ数年の話だと思うが、あっと言う間に少なくともコンビニ業界では恵方巻きが定着してしまったように思う。大阪の方では当たり前の習慣だったようだが、ここ富山では全くそんな習慣はなかった。そういうのがあるということも知らなかった。

 どんな地方にもその地方の習慣があるが、それが全国に広がるというのはありそうでなかなかないように思う。誰が仕掛人なのか、という詮索はともかく、それを全国に広めた人の力量はすごいものがあるなと思ってしまう。

 それに、それを広めようと思ったことが素晴らしいと思う。私のように、いつもぼーっとしている人間はそんなことを考えていない。何か仕掛けてやろうと考えている人と私とでは大きな差があるのだろう。また、その差を生み出す違いはどこから出てくるのだろう。

 そんなことを思いつつ、昼、恵方巻きを食べ、ちょっと残業をして遅くなり、家に帰ると。。。

 何と昼食べたのと同じ恵方巻きが、お盆の上に載っているではないか。

 しまったあ、、、と一瞬思ったが、まあそんなこともあるさと思い、同じように食べた。昼、食べたときは海苔の巻き方がうまくできずに、ちょっと味わえなかったが、今回は巻き方も戸惑うことはなく、食べることに集中できた。

 味は、それなりだけれど、まあ、何だか今年はよかったなと思った一日。来年もこの日の習慣として楽しむことができれば、いいなと思いつつ、その日を締めくくる。

 まあ、平和な日でした。そういえば、明日もしゃべらなければならないんだった。

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家に帰ると恵方巻きが。私、昼も同じものを食べました。


長い打合せと一時帰国の仲間(2/2)

 午前中、急に声がかかって、打合せが始まった。基本的には月例のというか、それほど月例にもなっていない打合せ。例によって、長かった。今回はこれまでに比べれば、こちらから積極的に発言もできたので、それほど時間は感じなかったが、それでも、2時間近くやっていた。ちょっと長すぎないだろうか。

 個人的に、話すことがあまりうまくないこともあり、打合せの場というのは、すぱすぱっと短時間でお願いしたいところではあるが、結構長くかかっている場合というのは多い。何とかしなければ、と思いつつも、主導権が自分にはないので、どうしようもない。

 たまにしかないから、そんな大きな問題ではないのだけれど。

 さて、今日の昼には、韓国の旧正月を利用して、韓国に派遣されている仲間が帰ってきた。一緒に昼食をとるはずだったのだが、お昼休みの直前に電話がかかってきて、今、別の場所にいて、とても昼食の約束には間に合いそうにないとのこと。

 もう、いろんな人に連絡しているから、どうしようかと思ったが、場所の予約を入れているので、結局、主賓なしで集まることになった。ま、たまに同じサークルの仲間で集まるのもいい感じではある。

 食事の終わり際に、到着したとの連絡が入った。ただ、その場に来てもらってもどうしようもないので、その建物の一階で待ち合わせて10分間ほど話をする。その人は元気そうではあるが、帰国しても忙しそうだった。何でも、母校の高校で講演するんだとか。

 へえ、すごいなあ。自分の場合は、母校からそんな声がかかるなんて、絶対にあり得ないんだろうな。彼は、学校でも目立っていたんだろうな。といろんなことを思った。私にとって、どちらかというと高校までの学生生活の話はタブーの領域に入る。ほとんど悲しい、寂しい思い出しかないので。


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旧正月ですなぁ


大雪その後(2/1)

 今日職場に出ると、また昨日と同じような状況。ほとんど誰もいない。昨日ほど雪は降っていないが、と思いつつも、ニュースによれば、石川県との県境でラッセル車の故障により、遅れが生じているとのこと。

 少し待っていれば、揃うかと思っていたが、今日もだめ。結局、JRは今朝もだめだった模様。

 途中、JRのHPで確認したが、それでも、所々運休の情報が載っている。これが、全ての列車が運休しているのか、間引きして運転している状態なのかさっぱり分からない。

 夕方になって、今日も全然運転できなかったことがわかった。今日はそれほど降っていなかったのに、なぜ、という思いが強い。JR西日本に対する非難の声は昨日以上に多かったようだ。

 昨日、完全に運転をやめて除雪作業に専念したはずなのだ。それなのに、この状況。非難されても仕方がない。それほど今回の雪がひどかったということなのかもしれないが、何とかならなかったものか。部分的にでも運行できなかったものか。

 私は現場のことを何も知らない。そんな人間に言われるのは当事者からしたらさぞかし腹立たしいことだろう。きっと言い分はあると思うし、聞けば納得できる部分もあるだろう。

 それでも、今回の2日連続の運休はひどかったと思う。多分、すぐに一般の人の記憶からは忘れ去られるのだと思うが、今回の教訓は今後にぜひ生かしてほしい。

 それにしても、JRは雪に弱くなったものだと思う。これも推測に過ぎないが、昔はそれほど安全に気を使わなくても、アナログ的に対応できたのだと思う。現在は、いろんなセンサーなどが機能して、危険は未然に防げるのだろうが、それが故障したときの対応ができないのだろうと思う。

 とはいえ、きっとこれが安全なのだと思うし、これが私たちがいろいろ言ってきた結果なのだと思う。事故を起こさないこと。それが何事にも優先されるのだから。

 こういう不便も受け入れざるを得ないと思う人が増えればいいが、我々の欲求のレベルは高まる一方。しかし、それに対応する側はそれに追いついて行くだけで大変になってくる。

 それでも、安全が優先されることは忘れてほしくない。今回はちょっと長すぎたけれど、それを解消するために安全性が犠牲になることのないように。

 今日もあまり面白くない話でした。

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