大阪ハーフマラソンに出場、そして大阪国際女子マラソン(1/27)
昨日、書いたとおり、大阪ハーフマラソンに出場してきた。制限時間が厳しく、長居陸上競技場のスタジアム直前(20.6km地点)を2時間以内に通過しないといけないというのが心配だったが、結果からいえば、何とか通過できて無事ゴールできた。やはり大きな長居スタジアムのトラックを走るのは素人からしたら、夢のような感じであった。だらだら走りだったが、無事、感動のゴール。ちょっと言い過ぎ?
そして、このレースは大阪国際女子マラソンと同時刻にスタートし、ハーフマラソンが終わってすぐ後に、女子マラソンのフルマラソンのランナーがゴールするというのが魅力だった。
さて、初めから行くと、ハーフマラソンだが、5,000人くらい参加するとても大きな大会。まずは大阪城公園の太陽の広場に集合。会場に着いたのだが、荷物を預ける締切の20分ほど前だったので、とりあえず、レーススタイルに着替えて、すぐに荷物を預けた。
多くの人がゼッケンとともに配られていた透明なゴミ袋に3か所穴を開けて、ウェアの上にそれを着ていた。寒いからそれを着たまま走るのかと思いきやスタート直前に皆脱ぎ始めて、それがレース前の防寒用だと分かった。
さて、荷物を預けてから、少し練習で周囲を走ってみるが、それだけでも結構しんどい。やはり練習不足か。果たしてゴールできるのか心配になる。そして、太陽の広場に戻ると、既にかなりの人が並んでいる。タイム別に5つくらいのレベルに分けられているその最下層のレベルの中でも、自分はかなり後方に並ばなければならなくなった。これは失敗した。
スタート20分くらい前に、その集合場所からスタート場所に移動していく。しかし、スタートラインに着いたものの、人が大勢いるので、本当のスタートラインは遥か彼方に見える。
で、しばらくすると号砲が。しかし、30秒ほどは全く動きなし。徐々にゆっくりと動き始めるのだが、結局、本当のスタートラインを超えたのは、号砲が鳴ってから既に2分45秒が経過してから。制限時間はゴールだけではなく、途中にも設けられており、最初の関門が5.4km地点でスタートから34分後。ただ走っている時にはそれをはっきりとは覚えておらず、周りもそんなに焦っていなかったので、大丈夫だろうと思ってはいたが、それでもタイム的には1分ちょっとしか余裕がなかった。
スタートラインははるか向こう。

号砲から2分後くらい?

しかし、リズムに乗って走り始めると、大勢いるので一人になることはないし、前半はなかなか楽しく走れた。そして、個人的なメインイベント、女子マラソンのランナーとのすれ違い。
こちらの8kmを過ぎたあたりだっただろうか。向かい側にパトカーが1台、2台と現れて、その後に、テレビやラジオの中継車が見えて、徐々に歓声も聞こえてくる。
そして、来た、先頭集団!
先頭集団はとても早く一瞬のすれ違いで、走り去って行った。福士加代子がいることははっきり見えたし、昨日書いたペースメーカーの野尻あずさがいることも確認できた。思わず、野尻に声援を送った。選手じゃないのに(笑)。
その後も後続のランナーが次々とやってくるが、やはり先頭集団とはスピードが全然違うように感じた。いつもテレビで見ているとあまりそうは思わないが、生で見るとちょっと迫力が違う。
女子マラソンのランナーが通り過ぎていった後は、ひたすらゴールを目指すのみ。ランナーがたくさんいるので、だんだん追い抜くよりも追い抜かれる方が多くなってきたが、そんなに気にはならない。
そうこうしているうちに、まだ17kmくらいで阪和線の高架が見えてきた。阪和線の高架はほぼ長居スタジアムの横にあたる。まだ4kmもあるのに、と思いながら通り過ぎる。そして、長居公園に入るところがちょうど18kmのところだった。
そこで、妻と息子、そして妻のご両親の声援を受ける。その時はまだ割と余裕があったのだが、長居公園の周回コースを走るところで、だんだん疲れがたまってきた。おまけにさっき横を通り過ぎたはずの長居スタジアムがどんどん遠ざかる。19km過ぎで全く見えなくなってしまった。これはつらい。もうほとんど惰性で走っているだけ。とりあえず、歩くことだけはすまいと、それだけで走っていた。
そして、20km過ぎにようやくまた長居スタジアムが見えてきた。少しは元気が出るかと思いきや、決してそんなことはなく(泣)、それでも何とか最後の関門は通過できた。
長居スタジアムのマラソンゲートをくぐってトラックを走る。トップランナーが走っているのと同じコース。これは嬉しい。その余韻にひたりながら、ゴール。タイムは全然だったけれど、特に急な登りもなく、走りやすいコースだった。
さて、ゴールはしたものの、何とか女子マラソンのゴールも見届けたい。そんなわけで、隣の第2競技場に向かって荷物を受け取る。着替えを済ませてまた長居スタジアムに向かおうとしたが、長居スタジアムに行くために渡らなければいけない道が女子マラソンの走行コースになっており、その周りはもう既に1位の選手を待ち受けているお客さんで一杯になっていて、渡れないようになっていた。
ハーフマラソンは長居公園を大回りするが、フルマラソンの方はスタート時に大回りして、帰りはまっすぐに長居スタジアムに入るようになっている。
何とか向こう側へと思ったが、どうすることもできず。そのうちに選手がやってきた。1位がガメラシュミルコ。そして、その後すぐに福士がやってきた。レース展開は後から知ったが、長居公園に入るところで、逆転されていたのだ。最終的には30秒ほどの差で福士は敗れたようだ。
結果から見れば、今回も失速しての負け。ただ、これまでとは違って、2時間24分台だから、そんなに悪くもない記録だ。とはいっても負けは負け。最後まで体力がもう少し残っていれば、勝てたかもしれない。惜しい。
左端にギリギリ、ガメラシュミルコ選手。

これも左の方に福士選手。

(私の10年日記)
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そして、このレースは大阪国際女子マラソンと同時刻にスタートし、ハーフマラソンが終わってすぐ後に、女子マラソンのフルマラソンのランナーがゴールするというのが魅力だった。
さて、初めから行くと、ハーフマラソンだが、5,000人くらい参加するとても大きな大会。まずは大阪城公園の太陽の広場に集合。会場に着いたのだが、荷物を預ける締切の20分ほど前だったので、とりあえず、レーススタイルに着替えて、すぐに荷物を預けた。
多くの人がゼッケンとともに配られていた透明なゴミ袋に3か所穴を開けて、ウェアの上にそれを着ていた。寒いからそれを着たまま走るのかと思いきやスタート直前に皆脱ぎ始めて、それがレース前の防寒用だと分かった。
さて、荷物を預けてから、少し練習で周囲を走ってみるが、それだけでも結構しんどい。やはり練習不足か。果たしてゴールできるのか心配になる。そして、太陽の広場に戻ると、既にかなりの人が並んでいる。タイム別に5つくらいのレベルに分けられているその最下層のレベルの中でも、自分はかなり後方に並ばなければならなくなった。これは失敗した。
スタート20分くらい前に、その集合場所からスタート場所に移動していく。しかし、スタートラインに着いたものの、人が大勢いるので、本当のスタートラインは遥か彼方に見える。
で、しばらくすると号砲が。しかし、30秒ほどは全く動きなし。徐々にゆっくりと動き始めるのだが、結局、本当のスタートラインを超えたのは、号砲が鳴ってから既に2分45秒が経過してから。制限時間はゴールだけではなく、途中にも設けられており、最初の関門が5.4km地点でスタートから34分後。ただ走っている時にはそれをはっきりとは覚えておらず、周りもそんなに焦っていなかったので、大丈夫だろうと思ってはいたが、それでもタイム的には1分ちょっとしか余裕がなかった。
スタートラインははるか向こう。

号砲から2分後くらい?

しかし、リズムに乗って走り始めると、大勢いるので一人になることはないし、前半はなかなか楽しく走れた。そして、個人的なメインイベント、女子マラソンのランナーとのすれ違い。
こちらの8kmを過ぎたあたりだっただろうか。向かい側にパトカーが1台、2台と現れて、その後に、テレビやラジオの中継車が見えて、徐々に歓声も聞こえてくる。
そして、来た、先頭集団!
先頭集団はとても早く一瞬のすれ違いで、走り去って行った。福士加代子がいることははっきり見えたし、昨日書いたペースメーカーの野尻あずさがいることも確認できた。思わず、野尻に声援を送った。選手じゃないのに(笑)。
その後も後続のランナーが次々とやってくるが、やはり先頭集団とはスピードが全然違うように感じた。いつもテレビで見ているとあまりそうは思わないが、生で見るとちょっと迫力が違う。
女子マラソンのランナーが通り過ぎていった後は、ひたすらゴールを目指すのみ。ランナーがたくさんいるので、だんだん追い抜くよりも追い抜かれる方が多くなってきたが、そんなに気にはならない。
そうこうしているうちに、まだ17kmくらいで阪和線の高架が見えてきた。阪和線の高架はほぼ長居スタジアムの横にあたる。まだ4kmもあるのに、と思いながら通り過ぎる。そして、長居公園に入るところがちょうど18kmのところだった。
そこで、妻と息子、そして妻のご両親の声援を受ける。その時はまだ割と余裕があったのだが、長居公園の周回コースを走るところで、だんだん疲れがたまってきた。おまけにさっき横を通り過ぎたはずの長居スタジアムがどんどん遠ざかる。19km過ぎで全く見えなくなってしまった。これはつらい。もうほとんど惰性で走っているだけ。とりあえず、歩くことだけはすまいと、それだけで走っていた。
そして、20km過ぎにようやくまた長居スタジアムが見えてきた。少しは元気が出るかと思いきや、決してそんなことはなく(泣)、それでも何とか最後の関門は通過できた。
長居スタジアムのマラソンゲートをくぐってトラックを走る。トップランナーが走っているのと同じコース。これは嬉しい。その余韻にひたりながら、ゴール。タイムは全然だったけれど、特に急な登りもなく、走りやすいコースだった。
さて、ゴールはしたものの、何とか女子マラソンのゴールも見届けたい。そんなわけで、隣の第2競技場に向かって荷物を受け取る。着替えを済ませてまた長居スタジアムに向かおうとしたが、長居スタジアムに行くために渡らなければいけない道が女子マラソンの走行コースになっており、その周りはもう既に1位の選手を待ち受けているお客さんで一杯になっていて、渡れないようになっていた。
ハーフマラソンは長居公園を大回りするが、フルマラソンの方はスタート時に大回りして、帰りはまっすぐに長居スタジアムに入るようになっている。
何とか向こう側へと思ったが、どうすることもできず。そのうちに選手がやってきた。1位がガメラシュミルコ。そして、その後すぐに福士がやってきた。レース展開は後から知ったが、長居公園に入るところで、逆転されていたのだ。最終的には30秒ほどの差で福士は敗れたようだ。
結果から見れば、今回も失速しての負け。ただ、これまでとは違って、2時間24分台だから、そんなに悪くもない記録だ。とはいっても負けは負け。最後まで体力がもう少し残っていれば、勝てたかもしれない。惜しい。
左端にギリギリ、ガメラシュミルコ選手。

これも左の方に福士選手。

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